Makoto Kuriya

OFFICIAL WEBSITE

COLUMN

mini column

ところでX-BAR理論って一体何ですか!?



デビューして間もない頃、Makoto Kuriya「X-BARトリオ」なんて謎めいたタイトルのアルバムを出してしまったがためにそこいら中で質問され、曲解され、妙な噂まで生まれ、一時期随分辟易とさせられた。今思えば確かに「いかにもムズカシソー」な理論に聞こえる。しかも当時所属していたレーベルのメーカーさんがなぜかこの点をやけに強調してくれたので、ぼくの音楽自体もいかにも「ムズカシー」ものだと思われてしまった。というわけで、ここで説明いたしましょう!
 X-BAR理論というのはそもそも、ぼくがウェストバージニア大学で専攻していた言語学の学者、ノーム・チョムスキーという人物が唱えた理論。我々が普段「無意識のうちにどのように言葉を紡ぎだしているか」を説明したものだ。別にそんなに難解な理論てわけでもない。これがジャズ演奏のインプロヴィゼーションにそのまま当てはまるので、「ジャズというのはまるで言葉を話すように無意識的にフレーズを紡ぎだしていく音楽で、アンサンブルは会話を交わしているようなもの」だってことが言いたくてこのタイトルをつけた。みんな納得した?え、しないって?どうしても詳しく知りたい人は、めんどくさいのでぼくに質問せず言語学の本でも読んでください(笑)。
 余談になるけどこのチョムスキー、最近ではベトナム戦争以来の反戦活動家として注目されることが多い。イラクへ従軍している州兵たちの間にも、反戦機運が広がって最近はチョムスキーを読んでいる人が少なくないそうな。MIT(マサチューセッツ工科大学)の教授でありアメリカを代表するインテリである彼は、MITの研究予算の多くが軍から拠出されているにも関わらず、学内でも一貫して反戦活動を行ってきた。

 さて話を元に戻して、それじゃあ、当時のぼくの音楽は全然難解じゃなかったのか?と言われると、やっぱり難解だった(笑)。何が難解かっていうと、曲自体が難解(爆)。でもぼく自身は、「ミュージシャンにとっては極めて挑戦しがいがあり、しかしリスナーにとっては決して難解に聴こえない」音楽を目指していたつもりなんだよね。ところが!大きな落とし穴があったのだ。日本でライブ活動を行う場合、様々な事情からなかなか常に同じレギュラーメンバーを揃えてライブをすることが難しかった。そのため、ライブやコンサートの企画が持ち上がるたびに、多くは当日のリハーサルのみで本番に臨まなければならない。元々難曲なだけに十分に曲を消化して本番というわけにはいかず、未消化のままリスナーに披露してしまう結果となる。完璧に演奏すれば確かにスムーズに聴けるのだが、未消化なバンドで演奏するとそれはそれは難解な楽曲に聞こえてしまうのである。今にして思えば当日リハだけでそんな難曲をプレイするな!というだけの話なんだけど、帰国直後だった当時はそれこそが自分の音楽だと燃えていたし、それを求められていた部分もあった。思えばあの頃は若かったなあ・・・。
 あれからいろいろな経験をし、年もとって、今ではどうにか「ミュージシャンにとっては挑戦しがいがあるけれど、リスナーには決して難解に聴こえない」音楽を作ることが出来るようになってきた。(嘘だと思ったらためしに是非「Don Segundo」や「The Voyager」を演奏してみてください(^_^)v。)それはまた最近、周りに音楽への理解が深く、演奏テクニックの多才なアーティストが増えてきたせいでもある。その証拠に、10年以上も前に作曲したぼくの史上最難曲「Siamese Floating Market」を今でも時々プレイするんだけど、今じゃ誰にも難解だとは言われないんだよね。