Makoto Kuriya
OFFICIAL WEBSITE
COLUMN
チャック・マンジョーネって知ってる?
今どきの若者は、ひょっとしたらこの人を知らないかもしれない。あるいはこのところの70'sブームでアルバムが再発されたりしているから、リバイバルでかえって知っている人もいるかな?チャック・マンジョーネはシシリア系アメリカ人トランペッターで、70年代フュージョンの大スターだ。グラミーを受賞した「フィール・ソー・グッド」という曲は、当時日本のラジオでもテレビでも喫茶店でも、そこら中でかかりまくってたもんだ。ぼくは在米当時1年間彼のバンドに所属していた。
この人アメリカではいわば往年の大スターで、ぼくが共演していた頃はちょうどロス・オリンピックのテーマ曲を演奏し、再びヒットチャートを騒がせていた。彼との演奏活動は、ちょっと忘れられない体験だ。移動は全てリムジン。どこへ行っても握手、サイン責め。まさにアメリカ・ショービジネスの大スターを絵に描いたような生活。スタッフを引き連れてボーリング場を貸し切り状態にしても、トランペットを一発吹けばタダになってしまうという有様。しかし大スターにも関わらず、誰にでもナイスで気前が良く、ラテン気質で、タフで、すごく「イイヤツ」だった。
そのタフさ加減がまたすごくて、1日に4時間しか寝ない。サウンドチェックして、ひとしきりショーをやって、夜明けまで打ちあげをして、それでも朝一番に起きて釣りをしてたりするんだ。やっぱり成功する人物はどこか違うなあ、と思わずうならせる人物だ。そもそも遙かに若いこっちの方が、とても付いていけなかったくらいだ。最近CSのFOXチャンネルでやってる「KING OF THE HILL」というアニメーション番組があるが、これを見ているとしょっちゅう「チャック・マンジョーネ」が(劇中の)テレビに登場する。おそらくアメリカではいまだに大スターなのだろう。写真はとあるジャズフェスで、チャックとの共演。真ん中のでかいヤツはゲイリー・トーマス(sax)。
一方、同じ頃にぼくが参加していたバンドに、「ネイサン・デイヴィス・グループ」がある。スターダムに上ったチャックとは対照的に、ネイサンはアカデミズムの世界で成功を収めた人だ。カンザスシティ生まれの彼は、地元で盛んだったファンキージャズの旗手の一人だが、教育を重視する家庭に育った。そのため、超ファンキーであるにも関わらずインテリである。1960年から軍務でヨーロッパへ渡り、当時彼の地では知的なジャズへの理解が深かった事もありしばらくの間滞在。この間ケニー・クラーク、ドナルド・バード、エリック・ドルフィーと共に活動した、最前線のジャズ戦士だった。彼は同時にベルギーと西ドイツで民族音楽学を学び、さらにウッディ・ショー、スライド・ハンプトンと共にパリ・リユニオン・バンドを結成して活躍。そして知的で美しいドイツ人女性と結婚もした。
そんな最盛期を経て帰国し、その後は民族音楽学者としてアカデミズムの世界で地位を築いていく。ジャズアカデミズムといえば、日本ではバークリー派とマルサリス家が有名だが、それ以外にも往年の巨匠で学者として名を残した人は少なくない。かのジャッキー・バイアードやバリー・ハリス(いずれもピアニスト)などが有名だが、ネイサン・デイヴィスもピッツバーグ大学で教鞭を執り、名誉教授にまで上り詰めた超大物だ。ぼくは一時期ピッツバーグ大学で、彼の助手として教鞭を執っていたが、実はこの地位からアメリカで活躍する多くのアーティストを排出している。渡辺貞夫グループでかつて毎年来日していたエイブラハム・ラボリエルもその一人だが、中でも優秀な弟子はピアニストのジェリ・アレンで、彼女は現在引退したネイサンの跡を継いでピッツバーグ大学にいる。
ある意味偏った日本のジャズ・マーケットでは、ネイサン・デイヴィスはあまり有名とは言えない。しかし彼は上記のごとく紛れもない巨匠であり、教授になった後はなんだかいう雑誌で「アメリカで成功した黒人100人」の一人に数えられていた。日本ではむしろ、DJたちが彼の旧譜を非常に重宝していて、中には3万円もの価格で取引されているアルバムさえある。ぼくは彼のグループで、数多くのジャズの巨匠たちと共演させてもらった。彼のアルバムにも参加し、2004年には パリのユネスコで行われた国際イベントにも招いてくれた。ぼくも彼に恩返しがしたくて、一度日本に呼んでツアーを行いレコーディングもした。演奏、人柄共に豪快でファンキーだが、それと同時に極めて徳の高い人物であり、礼儀を重んじ約束を違わず、大変偉いにも関わらず人に敬意を抱ける人。学壇で成功するのも頷ける、あらゆる意味で尊敬に値する人物である。